2017年06月11日

父の日の原点は1909年

名誉牧師 藤波勝正

私は以前、父の日というのは、デパートやネクタイ業界など男性用品を扱う事業者が母の日に対抗する販売戦略として習慣化しようとしてきたのではないかと思っていました。

父の日は、母の日と同じようにアメリカの教会で始まり、戦後の日本に伝えられました。そのきっかけとなったのはある女性です。この女性が小さいころに南北戦争が始まり、父親は召集され、母親は子供6人を育てましたが、父親が戻って間もなく亡くなりました。それ以来、父親は男手一つで6人の子供を育て、皆が成人した後に亡くなりました。1909年にこの女性が父親の誕生月である6月に父親をたたえるための礼拝を教会の牧師に依頼したことから父の日が始まったと言われます。

この女性は、すでに母の日がありましたから、父の日もあるべきだと考え、父親に感謝する日を設けてほしいと牧師協会に要請し、1910年6月19日に父の日が始まりました。その後、さまざまな経緯を経て、1972年にアメリカ国会で正式な国の記念日に制定したそうです。母の日の花はカーネーションですが、父の日を提案した女性が父親の墓前に白いバラを飾ったことから、赤いバラが用いられているようです。

昔、「地震、雷、火事、おやじ」と言われましたが、父親は怖いものの中にあり、家庭内では相当無理をして自分の立場を守っていたようです。多くの家庭では父親は感謝されるよりも恐れられる存在のようでしたから、父の日を定めて感謝しようという習慣は考えにくいものだったのではないでしょうか。高度成長期までは父親が大変忙しく、家庭を顧みる余裕がなかったせいもあって、「亭主は元気で留守がいい」ということばができるくらい、家庭内で夫の存在があまり認められていなかったようですが、最近はイクメンと言われる子育てや家事に積極的に協力する夫が多くなってきました。

私が名誉園長をしているこひつじ学園が開園した50年前には、卒園式や入園式に参加する父親の数は少なかったのですが、感謝なことに、最近は多くの父親が積極的に参加してくださるようになりました。父親が家庭にいる機会が昔より多くなっていますから、父親の役目を考える必要があると思います。

聖書に「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」(ヘブル12:10)とあり、父親の権威のもとで子供を育てることが大切であると教えています。子供は母親から無償の愛を学び、父親からは、権威に従うことや自分を制することを学ぶのです。この二つのことを学ぶなら、心豊かな人間、社会にあって人をリードする人間に育ちます。母親が父親の代わりをすることができないように、父親も母親の代わりをすることはできません。両親は、互いの立場を尊重し、役割分担を意識する必要がありますが、父親が不在で合ったり、不在がちの場合には、母親が父親を尊敬し、父親の権威について話すことで、ある程度補うことができます。

とはいえ、人間は弱い者ですから、なかなか思うようにできません。私たちがゆるし合い、助け合っていくために、救い主イエス・キリストが必要なのです。「人の子(キリスト)は、失われている者を救うために来たのです」(マタイ18:11)。
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2017年05月14日

お母さん、僕を産んでくれてありがとう

名誉牧師 藤波勝正

5月の第2日曜日母の日で、多くの方が母親に感謝を表わすでしょう。母の日は、1908年にある女性が、教会の日曜学校で教師をしていた母親から「あなたの父と母を敬え」というみことばを教えられていたことを思い出し、母親の記念会にたくさんのカーネーションの花で母親をしのんだことから始まりました。そのことから、母の日にはカーネーションで感謝が表されますが、最近、アジサイが用いられるようになっているとテレビで見て驚きました。なぜアジサイが使われるようになったのかはわかりませんが、要は母親に感謝の意が伝わればいいのです。自分を産み、多くの労を取って育て、いつも見守っている母親の愛を思い、感謝を表わすのです。

先日、テレビの番組で、生まれて間もなく産みの母から離された介護士の男性が、母を捜してもらって訪ね、再会する光景を見ました。この男性がどのような状況で母の胎に宿り、この世に生を受けたのか、どのような理由で生まれて間もなく引き離されたのか、その後どのように成長したのかは全くわかりません。幼児期には幼児として母親への思いがあり、反抗期に入ると、幼児期とは違う母親への疑問を持ち、悩み、苦しんだことでしょう。その苦しみや悩みや不安をどのように解決してきたのかわかりませんが、母親に会いたいと願うようになりました。実際に会ったときの第一声は、「僕を産んでくれてありがとう」でした。母親に抱かれ、二人とも涙を流している姿に感動しました。

「僕を産んでくれてありがとう」ということばの背景はわかりませんが、母親はこのことばによってどれほど慰められ、励まされ、感謝したことでしょうか。このことばを言った男性自身も、自分の存在を自分で認め、明日への希望を持つことができたと思います。

母親への不信から「なぜ僕を産んだの?」と言うようなこともありますが、それほど悲しいことばはありません。母親への不信は自分の存在の否定につながり、自分の生きる価値を否定することです。ですから、将来の希望も生きる目的も見いだせない状態になってしまうでしょう。母の日や父の日は、両親を喜ばせる日というだけではなく、自分の存在を確認し、新たな希望に向かって歩むことを決意する大切な時ではないでしょうか。

聖書に、「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(Tペテロ1:3)とあります。イエス・キリストが自分の罪のために死んでくださったこと、よみがえって今も生きていると信じる者は、どんな人であっても、新しく生まれた者であり、キリストの力によって新たな希望を持って生きる者となると約束されています。私たちは、イエスに属する者となり、イエスのよみがえりの力で生きる者となり、イエスのために、また多くの人々のために生きることを喜びとする者となるのです。どんな環境に生まれても、イエスによる新しいいのちによって、希望を持って生きる者としていただけます。
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2017年04月09日

挫折は最も大事な時

名誉牧師 藤波勝正

この号から、私の肩書が牧師から名誉牧師に変わりました。54年前にキリスト兄弟団の教職になり、二つの教会で働いたのちに小田原での働きを始めたのが52年前でした。高齢になりましたので、小田原教会主任牧師を辞し、名誉牧師としてできるだけ奉仕し、主任牧師を手伝うことにしています。小田原教会主任牧師の後任は、娘の尚美副牧師です。

私たち夫婦が前任地の福島教会にいたときに、私の母が住む湯河原の家を拠点にして小田原市内で教会を設立することを決意しました。そのとき、「わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ43:19)のみことばが大きな励ましとなりました。神様が必ず困難の中にも道を開き、必要なものを備えてくださると信じ、教団本部の援助を断り、神様だけを信じて、小田原での働きを始めることを決意しました。

キリスト兄弟団小田原教会と言っても、最初のメンバーは、牧師である私たち夫婦、信徒は母一人でした。小田原市内の青美公民館2階を毎週日曜日の午前だけ借り、日曜学校と礼拝を行なうところから始めました。毎週日曜日には、結婚祝いに知人からいただいたスバル360に乗って家族で湯河原から青美公民館に行きました。まず近所の子供たちを集め、家内が中心になって日曜学校を開きました。10人以上の子供たちが集まってきて、よい集まりを持つことができたことが大きな励ましでした。

今後どのような生涯を送ったらよいのか、湯河原の家で思いめぐらし、神様に祈り、聖書を読み、夫婦で話し合う中で、自分が幼い時に家族で教会に通っていたことにより悪の道に進まないで済んだことに気づき、幼児教育をしたいという思いが与えられました。教員であった母の協力を得て、幼児教育をし、そこから教会形成に励もうと決意しました。必要な資金は何もないので、借金をし、借地をし、古い材木で会堂兼園舎を建てることにしました。計画を立てて祈りながら毎週湯河原から小田原に通っていましたが、集まってくる大人はなく、家族3人だけの礼拝が3か月間続きました。牧師を辞めようとは思いませんでしたが、牧師でいられないのではないかという大きな不安に駆られ、挫折を経験しました。

そんな中で神様の前に出て祈ったとき、「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(Uコリント1:9)というみことばに触れ、よみがえりのイエス様を信じて歩み出す力が与えられました。1年後、今から50年前に、神の不思議な御手によって今の土地をお借りすることができ、古い材木ではなく新しい材木で会堂兼園舎を建てて幼児教育施設こひつじ学園を開園し、また、この地での教会の働きを始めました。

祈りにこたえる生ける神であるイエス様がおられるので今のこひつじ学園があり、今の小田原教会があり、今の私があります。聖書に「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります」(ヨハネ13:7)とありますが、理由がわからず、思いどおりにいかなかった3か月間の挫折の経験が人生で最も大事な時でした。
posted by pastor at 00:00| 教会通信「はぴねす」